矢島里佳の本、発売中!
コミックエッセイ「その常識もしかして非常識?!〜自分を魅せる本当のマナー〜」発売中!
なでしこ可憐だぁー
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矢島里佳の本です!お近くの本屋さんにないときはこちらでどうぞ!
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チャンピオンステージの審査をしていただいた、日本現代作法会会長の篠田弥寿子先生の本です。
STAGE1、2の審査員をされた恭子先生の師である、岩下宣子先生が書き下ろされた本です。
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江戸幕末の目安箱の中身は…
8台将軍徳川吉宗が1721年に広く民意を聞くために始めた「目安箱」への直訴の内容を将軍の側近が簡潔にまとめた「訴状留(そじょうどめ)」が発見されたそうです。

その中身は…

「旗本領内の村の農民一同です。旗本からたくさんの金を要求され難儀しております。知行替えしてください。」

「某村の周りの村々が申し上げます。この村の人たちはバクチをすすめるので困っています。おただしください。」

「わが村の寺の僧侶は出家者とは思えない所業で一同迷惑しています。お調べください。」

などなど、「目安箱」設置当初の、政策に役立つ知恵を集めるという第一の目的よりも、民衆は、不正の告発などを訴える場として使っていたことが明らかになったそうです。

この頃のことを知る重要な資料として、注目されているようです!

「訴状留」は、江戸登場博物館に23日まで展示されているようです♪
| 江戸の話 | 20:18 | comments(0) | - |
江戸時代の「口紅」21世紀に復活でございます!
江戸時代の女性が持ち歩いていた化粧道具『板紅(いたべに)』をご存知ですか。

細工を施した容器に紅花から作った伝統的な紅を塗って携帯していたものです。

江戸時代の、口紅です。

「紅板」は漆や象牙、金属、紙などを素材に使用し、2つ折の板状や薄型の箱状のものなどがあったようです。大きさは縦横5センチ以下で、見た目にも華やかです。

紅は内側の面に塗り、唇にさす際には、指やふでに水をつけて溶いて使い、溶く量で真紅から紅色まで濃淡をつけることもできたのです。

この紅板を1825年創業の、老舗の紅屋「伊勢半本店」が去年の4月から、板紅の復活に取り組んでいるそうです。

「甦る江戸の化粧道具ー板紅」で展示された後、一部が販売される、ということだそうです。
多くは15万〜25万円と高価ですが、より安価な品を作る計画もあるそうです…。

安価とは…

一度試してみたい気もしますが…

気になります。

このように伝統文化を現代によみがえらせる活動が、これからも増えていくことを願っております。
| 江戸の話 | 23:12 | comments(2) | - |
江戸の美容師さんは、「髪結職」と「女髪結」
おはようございます♪

昨日の夜の続きでございます。

江戸時代、忙しい人のために出張して髪結をする「回り髪結」という髪結職人もいたそうです。

お家に来てくださっていたのですね!

もちろん、現代のようにお店を構えている髪結い職人さんもたくさんおりましたので、商人や職人さんは、髪をセットしに髪結職人さんのところへ行っていたそうです。

髪結職人さんたちは、橋のたもとや湯屋(銭湯)の近くに小さなお店を構え、夜まで営業したので、「髪結床」「床屋」と呼ばれるようになったそうです。

これが床屋さんの語源になっているのかもしれませんね。

もう1つの語源として、簡易的なお店を「床店」と呼ぶようになったことから、「床屋」という名称になったとも言われています。

他にもいくつか、語源があるようでございます。

お客さんはお店の中まで入らずに、入り口の土間に履物のまま入り、座って髪を結ってもらっていました。

現代と同様に、髭をそってから、髪を結っていたそうです。

商人・職人がお客さんとして集まって世間話をしたりと、一種のコミュニティーができていたようです。

このことから、別名「浮世床」とも呼ばれていました。

(床屋さんという言葉は江戸時代からあったようですが、美容院という言葉はどこから出てきたのでございましょうか…?)

江戸の人々は、サービス精神旺盛だったのでございますね!
| 江戸の話 | 08:48 | comments(2) | - |
美容院の予約をいたしました☆ところで江戸の美容院は…
オーストラリアへ行く前に、少しほんの少し髪を切りにいこうと思い、美容院の予約をいたしました☆

美容院って、今は自分で足を運ばなければなりませんが、江戸時代はお家まで髪を散発してくださる方が来てくださったのでございます。

いろんなタイプの美容院があったのでございます!(もちろん美容院とは呼んでおりませんでしたが…)

ということで、お江戸の美容院事情について…と思いましたが、とても眠くなってしまいましたので、とても申し訳ないのですが、この話の続きは明日の朝ということで…

おやすみなさい☆
| 江戸の話 | 23:41 | comments(0) | - |
「江戸」の語源はいったい何??
普段、ブログで江戸しぐさをご紹介させていただいておりますが、ところで…

なぜ「江戸」と呼ばれていたのでございましょうか?

諸説いろいろございますが、有力な説は…

「江」=入り江の、「戸」=入り口

ということだそうです。

確かに「江戸」は、東京湾に面しておりますからね。

『入り江の入り口=江戸』

となったというのも、一理ありそうでございますね♪

江戸でさかんに食されていた、お寿司も天ぷらのえびも海の幸☆

江戸の人々は今以上に、海をとても意識していたのかもしれませんね。
| 江戸の話 | 23:27 | comments(2) | - |
七厘は江戸時代の省エネ!!
最近、朝ごはんにお餅を食べております。

お餅を食べると、冬が来たなぁ…としみじみと感じます。

パパが「七厘でお餅を焼くとおいしいんだよ!」と言っておりました。

でも残念ながら、七厘は我が家にございませんので試してみることができません。

ところで、七厘の「しちりん」という名前はどういう意味なのでございましょうか。

名前の由来はいくつかございまして、1つ目は燃料として7厘の炭で済むことから。

…燃料がお安いのは嬉しいですね。
(今は原油高で、悲鳴を上げておりますからね…)

2つ目は底にある空気穴が7つあることから「七輪」と呼ぶようになったとか。

七厘は、軽量で持ち運びしやすく、どこでも調理や湯沸しなどに利用できるということで、急速に江戸の町に広まっていったそうです☆

現代は、火を使わないIHクッキングヒーターが急速に広まっていますね。

(でも、底がへこんでいるお鍋は危険らしいので、お気をつけて…!)
| 江戸の話 | 11:01 | comments(4) | - |
酉の市のポスター発見☆浅草の鷲神社
先ほど駅で、酉の市開催のポスターを見かけました♪

酉の市開催のポスター

浅草酉の市でございます!鷲神社で行われる

酉の市については、以前ご紹介させていただきました☆

お時間ありましたら、コチラからどうぞ♪

縁起物の熊手を持った江戸風の、男性の絵が描かれておりますね。

一の酉 11月11日
二の酉 11月23日

一の酉は、あと3日後に開催でございます。

2日間とも、晴れるといいですね!
| 江戸の話 | 16:20 | comments(0) | - |
お江戸のオマケ商法!元祖は富山の薬売り?
小さい頃、お菓子を買ってもらうときは、ついついオマケにつられて買ってもらっていたのを覚えています。

おもちゃのネックレスや指輪、人形などなど…オマケがメインでお菓子がサブという感じでした。

小さい頃と言いましたが、結構現在の大人はオマケ好きですよね?

「大人買い」なんていう言葉もございますからね☆

さて、このオマケ商法、元祖は富山の薬売りだったようです。

名所やお芝居の錦絵をおまけにして販売促進したそうです。

「仙女香(江戸京橋の坂本氏が売り出した「白粉(おしろい)」)の包装紙を10枚持参すると、江戸三座(中村座・市村座・森田座のこと)の人気役者署名入り扇子をプレゼント」(江戸三座については、また後日…)
というプレミアムセールが行われたそうです。

江戸時代の役者と言えば、今のアイドルのような存在でございますからね。

今で言えば、「ポイントを集ると、もれなく○○のサイン入りグッズをプレゼント♪」
という感じでございましょうか?

ちなみに、このプレミアムセールの人気の凄さを物語るこんな川柳がございます。

「仙女香十包ねだる馬鹿娘」

川柳にも読まれるほど、話題騒然だったようですね。

きっと、ミーハーな年頃の女の子達がこぞって集めたのでしょうね♪

他にも、山東京伝のお店の謎絵入りの包装紙も人気で、この包装紙欲しさに商品を買う人が続出したそうです。

これも今で言えば、「洋服のブランドで袋がかわいいから、その袋ほしさに洋服を買う」といった感じでしょうかね。

江戸時代から、オマケ商法は日本人の心を射止めていたのでございます☆

(オマケ好きの原点は江戸時代に有り?)
| 江戸の話 | 23:51 | comments(0) | - |
ユリウス・クルト著 「写楽」で東洲斎写楽を大絶賛!
謎の浮世絵師、東洲斎写楽について調べてみましたら、はじめに東洲斎写楽の評価をしたのはドイツ人の美術研究家ユリウス・クルトだったそうです。

明治43年(1910年)に、ユリウス・クルトは自信の著書「写楽(Sharaku)」(ユリウス・クルトの母国ドイツミュンヘンで出版)で、東洲斎写楽について、

レンブラント(17世紀を代表するオランダの画家で、数多くの自画像を残す)
ベラスケス(マネが「画家の中の画家」と呼んだ、17世紀を代表するスペインの画家)

と並ぶ三大肖像画家であると、大絶賛しているそうです。

これがきっかけとなり、東洲斎写楽は、大正時代以降に日本でも再評価されるようになったのでございます♪

この、ユリウス・クルト著書「写楽(Sharaku)」は1995年にアダチ版画研究所から、日本語訳した本が出版されております。

ちょっと気になりますので、日吉キャンパスのメディア(図書館)で探してみたいと思います♪
| 江戸の話 | 20:42 | comments(0) | - |
さて、東洲斎写楽は誰か…?
江戸に現れた謎の浮世絵師、東洲斎写楽に関する記録は、ほとんど残っていないのでございます。

それでも気になる…東洲斎写楽とは何者なのでございましょうか?

一番有力だといわれている説は、八丁堀に住んでいた能役者、斎藤十郎兵衛だそうです。

とはいってもやはり、確証はないようでございます…。

他にも、浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、戯作者の十返舎一九、歌舞伎役者の中村此蔵などなど…

いろんな説が考えられているようでございますが真相は闇の中…。

こうなると、謎に包まれているということも、魅力の1つなのかもしれませんね。

やはり浮世絵史上、最大の謎に包まれたまま、いまだに多くの人々を魅了し続ける、東洲斎写楽なのでございました☆
| 江戸の話 | 22:26 | comments(0) | - |
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